汚れた英雄・研究
 

 当時、栄華を極めていた角川映画作品の1本「汚れた英雄」の車載カメラの映像は、鮮烈であった!(内容はともかく、この作品を超える邦画のバイク映画は、今もないのでは?)
 原作の故大藪春彦氏の「汚れた英雄(角川文庫刊・全4巻)」について、主人公・北野晶夫が乗車したオートバイ、自動車などを調べることで、当時を懐かしむと同時に、より深くモータースポーツについて考える。

右は、当時のチラシ

  汚れた英雄チラシ
トヨペット・スーパー
トヨペット・スーパー

 第1巻 70ページ

中学3年生の北野晶夫が、暴力団東和会の連中に拉致され、連れ回された時に使用したクルマ。

発売:1953年
エンジン:水冷直列4気筒OHV、1453cc、最高出力48ps
それまでのS型エンジンから新開発のR型を採用。

 

YAMAHA YA-1
 

 第1巻 12, 107ページ

初レースの高校1年、第1回浅間火山全日本モーターサイクル耐久ロードレース出場時。

 第1巻 12ページ

高校3年、第4回富士登山オートレース出場時。

 第1巻 8ページ

浪人中で、第2回浅間火山レース出場時。

 第1巻 266ページ

ロベルト・ヴィアンキのテストを受けるため、米軍立川飛行場にて

 

「赤トンボ」という愛称で人気を博したYA-1。
日本楽器製造(現・ヤマハ株式会社)から1955年2月に最初に発売されたモデル。その年の7月にモーターサイクル製造部門が独立し、ヤマハ発動機となる。日本楽器製造は、太平洋戦争で軍用機の可変ピッチプロペラを製造していたノウハウをオートバイ製造に転用。YA-1の完成度は高く(価格もそれなりに高価だった。13万8,000円)、1957年末の生産打ち切りまでに合計1万台以上が生産された。

1955年7月の第3回富士登山オートレースで優勝、同年11月の第1回浅間火山全日本モーターサイクル耐久ロードレースのウルトラライトクラスで上位独占するなど、当時のロードレースファンに強い印象を与えた。原作の「汚れた英雄」でも、学生の北野晶夫が乗るには、性能、価格など丁度よいマシンであった。

 
YAMAHA YA-1
主要諸元
 車名:YA-1(YAMAHA125)
 全長:1980mm
 全幅:660mm
 全高:925mm
 軸距:1290mm
 タイヤ前:2.75×19-2P
 タイヤ後:2.75×19-4P
 最低地上高:150mm
 乾燥車輛重量:94kg
 乗車定員:2名
 最小回転半径:1850mm
 最高速度:
  80km@5000rpm
 登板能力:1/3
 制動距離:6m@35km/h
 
   エンジン:
  空冷2サイクル単気筒ピストンバルブ
   点火方式:イグニシツションダイナモ    変速機型式:4段リターン式  
   内径×行程:52×58mm    キャブレター:AMAL MC20    1st: 3.240  
   総排気量:123cc    クラッチ型式:湿式多坂クラッチ    2nd: 1.794  
   圧縮比:6.0    オイル混合比:20:1    3rd: 1.292  
   最高出力:5.6ps@5000rpm    燃料タンク容量:9リットル    4st: 1.000  
   最高トルク:0.9kgm@3500rpm        1次減速比: 2.500  
           2次減速比: 3.060  
             
Ferrari 500TRC
 

 第1巻 166ページ

浪人中、軽井沢のマクドナルド家の犬ボーイとして働いていたとき、主人のマクドナルド中佐がポーカーの代金として、巻き上げてきたもの。晶夫このクルマで米軍スポーツカー・クラブ主催の草レースに出場する。

TRCとはTesta Rossa appendix Cの略で、4気筒2リットルDOHCエンジンのカムカバーが赤く塗られていることからくる。 appendix Cとは当時のレースレギュレーションに合致するようにしたモデルで、20台製作された。1957年製。
因みに、500とは1気筒当たりの排気量で、90mm x 78mmというランプレディ設計のエンジンがベースとなっている。
  

Ferrari 500TRC
AJS 7R
AJS 7R

 第1巻 261ページ

浪人中で、マクドナルド米軍将校の犬ボーイ時代、元ライダーのイタリア人ディーラーのロベルト・ヴィアンキの目にとまり、プレゼントされる。
原作では、街乗り用にモトクロッサー仕様に改造されてしまう。

 
 

1909年操業のAJS。4度目の挑戦の1914年に、ついにマン島TTレースで優勝を果たす。以後AMCに吸収合併されてもレースへの情熱は失われず、市販レーサーにとって大切な信頼性と耐久性、メンテナンス性さらに低価格を兼ね備えていた。

 

 

1948年発売のAJR 7R「ボーイズ・レーサー」は、個人出場のライダーのためのもので、改良・熟成を重ね14年間も作り続けられた。
350cc空冷単気筒SOHCユニットは、37.5ps@7600rpmの出力を誇った。

 

 
MV AGUSTA 350
MV AGUSTA 350
 

 第1巻 267ページ

上記「AJS 7R」と同じ時に、ロベルト・ヴィアンキよりプレゼントされる。
最初の試乗時、195km/hの速度でコーナリング中に転倒。頭蓋骨、鎖骨骨折で入院を余儀なくされた。

 

優勝回数275回、個人&メーカータイトル通算75回獲得というGP史上に燦然と輝く記録を残したMVアグスタ。
"MVフォア"と呼ばれた空冷並列4気筒DOHCユニットは、ジレラから引き抜いたピエトロ・レモールとアルチュロ・マーニらがもたらした技術であった。

43ps@12000rpm。

因みに、当時は350ccクラスのゼッケンは青であった。

 
VOLKS WAGEN Micro-Bus
 

 第1巻 329ページ

大学の入学も決まり、上記のMVアグスタやAJS 7Rを運ぶためのトランスポーターとして、このマイクロバスを80万円で購入。資金は、大京映画の社長令嬢:友野由紀子と湘南銀行の頭取の娘:松平淑子との関係を解消するための示談金600万円から。

このマイクロバスをはじめ、ビートルをベースにした商用車シリーズを「タイプ2」と呼び、バスやトラックといったいろいろなシーンで活躍した。
エンジンは、空冷水平対向4気筒OHV 1.2リットル30ps。

VOLKS WAGEN Micro-Bus

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