WGP(Moto GP)road racing world championship grand prix
 

NR500

NR500

HONDA NR500 (1979年 0X)

Honda Racing
1967年までに500cc以外の中・小排気量クラスで、すべてチャンピオンを獲得してきたホンダが、とうとう最高峰の500ccクラスに挑戦すべく世界GPに戻ってきた(マニュファクチャラーズポイントでは1966年に1位)。4ストロークの雄MVアグスタの栄光も2ストロークの日本車に追いやられてしまった中、敢えて4ストロークで挑戦するのがいかにもホンダらしい。
2ストロークではクランク1回転でシリンダが1回爆発するが、4ストロークはクランクが2回転で1回の爆発だから1クランク回転当たり1/2爆発ということになる。同じ排気量なら爆発力は同じなので、当然2ストロークの方がパワーがある。ここでホンダの発想は、エンジン回転数を倍にして、1/2爆発×2にして2ストロークと同等のパワーを引きだそうと考えた。そのためには各パーツを小型・軽量にして慣性マスを小さくすることで高回転エンジンに仕上がる。つまり多気筒化だ。この辺りは先にも書いたように、中・小排気量クラスで実績がありお手の物なのだが、レギュレーションで500ccは4気筒までとなっていたので、ホンダ技術陣が出した答えが、小さく軽くなったピストンやコンロッドといったパーツをつなげてしまえということだ。V8だったものを4気筒にしたものがNR500に搭載された楕円ピストン(長円ピストン)というわけだ。これは4気筒にもかかわらずバルブの数は1気筒当たり8個なので8×4=32バルブ。点火プラグも2×4=8本という構成になっている。これにより、レブリミット2万回転という超高回転エンジンとなったのである。

   
この他にもNR(New Racing)の名に相応しい新技術として、いくつか列記すると、
サイドラジエータ:運動性向上のため車体をコンパクト-前後長の短縮のためラジエータを車体の側面に搭載。但し、冷却効率が悪く、初代の0Xに採用されたのみ。
倒立フロントフォークサスペンション:時代の先を行き過ぎですね。本格的に採用されるようになったのは10年後。カーボンブレーキも。
モノコックフレームカウル:カウル自体が剛性をもちエンジンがぶら下がっていた。整備性が悪く、とてもサーキットのピットでエンジンを下ろそうと思わない。
1979年(0X)デビューで1982年(2X)までの4年間世界GPを走るのだが、結局1ポイントも獲得できず終わってしまった。この時メインで開発を担当していたのが1977年の350ccクラス(YAMAHA TZ)で世界タイトルを獲得した片山敬済であった。もし彼がホンダワークス入りせずにYAMAHA YZRやSUZUKI RGB・RGΓに乗っていたとしたら、日本人による2輪ロードレースの最高峰クラスチャンピオンが早い時期に達成されていたのかも・・・
   
 エンジン 水冷4サイクル・DOHC32バルブ・100度V型4気筒
 排気量 499.5cc
 最高出力 115ps以上/19,000rpm
 最大トルク 4.6kgm/16,000rpm
 乾燥重量 130kg
 変速機 常時噛合式6段
 フレーム形式 モノコック
 懸架方式 前・テレスコピック(倒立)/ 後・スイングアーム
 ホイールサイズ 16インチ
   
topics
  • ホンダは1967年までに50ccで1回、125ccで3回、250ccで5回、350ccで6回チャンピオンを獲得しています。しかし500ccでは王者MVアグスタが1958年から1974年まで17年連続で最高峰クラスに君臨し、ホンダはチャンピオンを取らぬまま世界GPから撤退しました。
  • 世界GPでは1ポイントも獲得できず終わったNRですが、全日本では1981年6月の鈴鹿200kmレースで木山賢悟により優勝したことがあります。また、まだ無名の頃のヤング・アメリカン:フレディー・スペンサーによりアメリカのラグナセカでの国際レースに出走という記録が残っています。
 
  • 1982年、NRに携わったメンバー(NRブロック)を中心にHRC(Honda Racing Corporation:株式会社ホンダ・レーシング)が設立されました。
  • 0XでエンジンVバンクが100度で、その中に8個のキャブレターを納めていたが、2Xでは90度まで狭められコンパクトになりつつも最高出力130ps以上を達成しました。

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