WGP(Moto GP)road racing world championship grand prix
 

1975 WGP CHAMPION MACHINE

1975 YZR500

YAMAHA YZR500 Giacomo Agostini

Team YAMAHA
とうとう日本車が最高峰500ccクラスを制覇!350cc以下の軽量クラスでは既にチャンピオンマシンを送り出しているが、1975年から現在までの栄華はこのYAMAHA YZR500(0W23)から始まった。また、4ストロークMVアグスタから2ストローク日本車という流れになったことを意味していた。
ライダーはMVアグスタで一時代を築いたジャコモ・アゴスティーニ(350cc,500ccの2クラスで通算122勝、15回のチャンピオン)であった。

  YZR500(0W23)は、0W20の発展型であるが、GP500cc用に専用設計され大幅な軽量化がはかられた。ミッションはカセット式を採用することで、セッティング時間を短縮。スイングアームはモトクロッサーから移植された"モノクロス"リヤサスペンッションを搭載。最高出力95ps以上/10,000rpm。
車重150〜160kg。
 
topics
  • 1959年にホンダ(RC141/125cc・4st-2気筒)がマン島TTレースに出場して、日本車の世界GP参戦の歴史が始まった。ヤマハは'61年フランスGPに125cc/RA41(2st-単気筒)と250cc/RD48(2st-単気筒)をデビューさせ、その幕を開ける。
  • '64年P.リード駆るRD56(2st-並列2気筒ロータリーディスクバルブ吸入)が250ccでヤマハに初のチャンピオンをもたらす。ヤマハのワークス活動は'68年で一時中断する。
  • ワークス活動を停止していたヤマハであったが、市販レーサーの開発・供給は続けられていた。'73年、初の500ccクラス参戦という形でワークス活動を再開したヤマハは、初戦ポールリカールのフランスGPでいきなり優勝。マシンは2st-並列4気筒のYZR500(0W20)であった。
 
  • 二輪販売の主戦場は北米であった。そこで人気のデイトナ200マイルレース参戦そして勝利こそがバイクメーカー各社の目標であった。レギュレーション(F750)は750ccまでの市販車ベースの改造マシン。当時のヤマハは350ccの市販レーサーTR2、TR3しかなく、そのエンジンを横に2つ並べて700ccのYZ648というプロトタイプを作り上げる。同時に車体共通の500cc用YZ648Aも開発。それぞれYZR700(0W19)、YZR500(0W20)として人々の前に姿を現すことに。0W19の方は後にTZ750と進化して市販され、デイトナで成功を納めるも、強すぎてTZ750のワンメークレースと化し、F750カテゴリーが衰退、消滅することに。この頃すでにケニー・ロバーツもTZを駆って活躍している。

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